2013年09月06日
母の遺言
今回も弊所あてに寄せられた体験談やご意見をご紹介致します。皆様もぜひ、ご参考になさってください。
私は4人家族で育ちました。
父、母、兄、私です。
父より9つも若かった母が、がんで60歳の若さで亡くなりました。
私も兄も結婚して家を出ており、まだまだ孫たちの世話をお願いしていた頃でした。
「あと半年」の宣告を受け、きっちり半年しか生きられませんでしたが、私たちはあまりに突然の宣告を受け入れられず、
母にも告げることが出ませんでした。
父が自宅介護していたのですが、ちょうどいよいよ半年という頃、もうどうにもできず、入院になりました。
病院の先生との会話の中で自分の命について悟った母は、
私に遺言めいた言葉をいうようになりました。
「タンスの引き出しに緑色の財布があるの。それ、あなたが今のうちに持って行きなさい」
「どうして?」
「兄ちゃんに見つからないうちに」
「わかった」
モルヒネの効いた状態で、おぼろげにいろんなことを思い出しては、私とふたりの時にいうのです。
「大したものはないけど、宝石箱、持って帰っておきなさい」
「○○の柄の着物は一番高価なの。覚えておいて持って帰りなさいね」
母は兄嫁のことをとても仲良くしていました。
兄嫁も、母の看病に通ってくれ、とてもよくしてくれましたが、
やっぱり実の娘が可愛かったということなんでしょうか。
しかし、すべて口約束です。
母はもう遺言書も書けません。こっそり持っていけ、ということなのです。
結局私は、
「わかった、わかった」と言うだけで、持って帰りませんでした。
いくら母がそうしろと言うことでも、母の死を認めているようで出来なかったのです。
母の、自分の死後をあれこれ思う姿を見て哀れに感じたのでしょうか。
今80になった父は、まだまだ元気ですが、あれこれとしたためているようです。
http://www.kanekogsj.com/
私は4人家族で育ちました。
父、母、兄、私です。
父より9つも若かった母が、がんで60歳の若さで亡くなりました。
私も兄も結婚して家を出ており、まだまだ孫たちの世話をお願いしていた頃でした。
「あと半年」の宣告を受け、きっちり半年しか生きられませんでしたが、私たちはあまりに突然の宣告を受け入れられず、
母にも告げることが出ませんでした。
父が自宅介護していたのですが、ちょうどいよいよ半年という頃、もうどうにもできず、入院になりました。
病院の先生との会話の中で自分の命について悟った母は、
私に遺言めいた言葉をいうようになりました。
「タンスの引き出しに緑色の財布があるの。それ、あなたが今のうちに持って行きなさい」
「どうして?」
「兄ちゃんに見つからないうちに」
「わかった」
モルヒネの効いた状態で、おぼろげにいろんなことを思い出しては、私とふたりの時にいうのです。
「大したものはないけど、宝石箱、持って帰っておきなさい」
「○○の柄の着物は一番高価なの。覚えておいて持って帰りなさいね」
母は兄嫁のことをとても仲良くしていました。
兄嫁も、母の看病に通ってくれ、とてもよくしてくれましたが、
やっぱり実の娘が可愛かったということなんでしょうか。
しかし、すべて口約束です。
母はもう遺言書も書けません。こっそり持っていけ、ということなのです。
結局私は、
「わかった、わかった」と言うだけで、持って帰りませんでした。
いくら母がそうしろと言うことでも、母の死を認めているようで出来なかったのです。
母の、自分の死後をあれこれ思う姿を見て哀れに感じたのでしょうか。
今80になった父は、まだまだ元気ですが、あれこれとしたためているようです。
http://www.kanekogsj.com/
1月9日のおはようございます^^
1月8日のおはようございます^^
1月7日のおはようございます^^
1月6日のおはようございます^^
今年最後のおはようございます^^
12月27日のおはようございます^^
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1月7日のおはようございます^^
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今年最後のおはようございます^^
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Posted by kinchanhappy at 10:02│Comments(0)
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